3.オホーツク文化と流氷

古代のオホーツク文化は、北海道のオホーツク海沿岸を中心に、西暦5世紀から10 世紀にかけて栄えた文化で、その遺跡の分布する地域は、冬季に流氷が接岸するオホー ツク海沿岸地域と重なる。 しかもオホーツク文化の人たちの生活跡は、海岸のすぐ近くか、船などが往来できる 河川沿いの海岸から数百メートル以内のところに限られる。

そのことは、彼らがもっぱ ら海に依存する生業をしていた人たちであることを示している。実際、オホーツク文化の遺跡からは、彼らがとったニシン、ホッケ、マダラ、ソイ、 カレイ、カジカなどの魚の骨や、ウニ殻などが層をなして発見されており、セミクジラ、ザトウクジラ、イルカなどの鯨類や、オットセイ、アザラシ、トド、アシカなどの海棲 哺乳類の骨が多量に出土し、また骨角製の釣針や海獣用の銛先、漁網や魚釣り用の石製 の錘(おもり)が数多く発見されており、彼らが沿岸や近海を中心とした漁労や狩猟を 生業とした民族であったことを物語っている。

ただ、流氷との関係で見ると、彼らが流氷接岸地帯を選んで居住地としたかというと 疑問である。確かに流氷の下にはプランクトンが大量に集まり、それを求めて魚類が集 まり、海獣類が寄ってくるが、オホーツク文化の人たちがとっていた魚類を見ると、冬季にとるマダラなどが多いことや、オホーツク文化の最盛期の西暦8世紀から9世紀に かけては、汎地球的な温暖化現象により、海水面が1メートルから1.5メートルほど 上昇(オホーツク海進期)していることから、当時はオホーツク海南部には流氷が接岸 していないと考えられる。

かえって、海水の内陸への侵入により、内湾や湖沼群ができ、海獣類などの棲息地域が拡大したため、そこに彼らが拡散・進出してきたと考えてもよいのではないだろうか。その後10世紀に入り、東北地方などでは飢饉が続発することなどから、寒冷化が進 み、オホーツク海の流氷も拡大していったと思われる。そして流氷はオホーツク海南部に接岸するようになり、生態系が変化し、オホーツク文化の人たちの生活も変容・衰退 していったと考えられる。