明治5年に新橋・横浜間で日本で初めての鉄道が開通してから遅れること8年、北海道内でも明治13年に札幌・手宮間で幌内鉄道の建設が始まりました。 オホーツク地方で鉄道建設の話が具体化したのはそれよりさらに遅く、明治29年に北海道鉄道敷設法が公布されてからのことです。オホーツク地方の基幹鉄道となった名寄線が開通したのが大正10年で、日本初の鉄道から既に50年遅れており、道東の鉄道開発がいかに遅れていたかを物語っています。 |
池田から網走間の開通後、続く大正5年には湧別線(網走〜湧別間)、10年に名寄線(名寄〜湧別間)、12年には渚滑線(渚滑〜滝上間)、14年には相生線(美幌〜北見相生間)が相次いで開通して、オホーツク地方の鉄道網の整備は急速に進みました。
あと一歩・・・雄武〜北見枝幸間が開通するとオホーツク海沿岸は1本の鉄路で結ばれるところだった。しかし、1980年夢は脆くも崩れ、以降、1989年までにオホーツク沿岸からは釧網本線を除くすべての鉄路が「原野」に帰っていったのです。 |
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