2.オホーツクの歴史

(1)原始・古代〜中世

  @北海道島の成立

地質時代の第3紀から第4紀にかけての約3千万年にわたる地殻変動を経て、第4紀中頃の約40万年前以降、ほぼ現在の北海道島ができた。第4紀は人類が出現し活躍した時代で、氷河の拡大・縮小が繰り返され、それに伴って海水面の上昇、下降が起こった。

  A旧石器(先土器)時代

2万年ほど前、海水面が下降し大陸と陸続きになった北海道島に、マンモス象や人類が渡来した。襟裳岬や夕張市、空知管内由仁(ゆに)町ではマンモスの化石が、十勝管内忠類(ちゅうるい)村では南方系のナウマン象の化石がそれぞれ見つかっている。

北海道における旧石器(先土器)時代の存在は、約700 の遺跡で確認されている。用いられた打製石器は石刃、細石刃、尖頭器、石錐などで、魚介類、オオツノジカ、野牛、トナカイなどを獲っていたと見られる。網走管内白滝(しらたき)村からは当時の遺物が豊富に出土する。

  B縄文文化

氷河期が終わって気候が温暖になり、北海道でも縄文文化が始まり、打製石器に代わって磨製石器が使用されるようになった。縄文初期には氷河が溶けて海水面が現在より3−5m上昇(縄文海進)し、釧路、網走、石狩、苫小牧近辺は海となった。道南地方では椴法華(とどほっけ)式に代表される尖底土器が多く出土するが、これは本州東北地方と共通。道央や道東では平底土器が出土する。また、石刃鏃(石を打ち欠いた石刃で作った鏃)を用いる文化が北アジアから道東に入った。石刃鏃は日本では北海道だけで出土し、十勝、釧路、網走方面に多い。

  C続縄文文化

本州では縄文文化の次は弥生文化だが、北海道ではこの時期、鉄器は伝わったが稲作農耕は行われず、権力者も出現せず、縄文文化の伝統を色濃く残した文化が続いていたと考えられており、「続縄文文化」と呼ばれる。代表的遺跡は渡島管内恵山(えさん)町恵山遺跡、後志管内余市(よいち)町フゴッペ洞窟など。

  D擦文(さつもん)文化

8世紀後半から9世紀にかけて、全道均一的な擦文文化が成立し、15−16世紀頃まで続いた。この文化は続縄文文化が本州の土師器を伴う文化の影響を受けて成立したといわれる。擦文の名は、土器の表面に、はけでこすったような文様があることに由来する。石器はほとんど用いられなくなる。集落の規模は大きくなり、住居は竪穴式で形はほぼ正方形となり、炉とカマドが分かれた。

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